天才の生い立ちに学ぼう ビルゲイツ編

ビルゲイツ天才の生い立ち

ビルゲイツはアメリカ合衆国の実業家、慈善活動家、技術者、プログラマ、作家、教育者。

マイクロソフトの共同創業者として有名で、フォーブス誌の世界長者番付において世界2位(2020年時点)、資産額は980億ドル(10兆7800億円)と言われています。

http://ja.wikipedia.org/wiki/ビル・ゲイツ

ゲイツはいつも粉末オレンジジュースが入った瓶を持っていて、疲れてきたと思ったら、 粉末を手のひらに乗せてなめていた、そんな生活を夏じゅう続けたので、 ゲイツの手はいつもオレンジ色をしていた。

ビルゲイツの幼少期

ビルゲイツ

生い立ちと幼少時代、母親の教育

ビルゲイツは、弁護士の父親ウィリアムと元教師である母親メアリーの間に生まれました。

母親はビル少年が幼い頃から本を読み聞かせることを習慣にしていました。
おかげで、ビルは本が大好きになりましたが、彼が特に関心を示したのは百科事典でした。
なんと、彼はAから順番に百科事典を読破してしまったそうです。

他にもSF作品からナポレオンなどの偉人の伝記まで、様々なジャンルの本を読んでいました。

人と違うことをするのが好きで、どんなことでも1番になりたいという競争心の強い性格だったこともあり、小学校の同級生からは負けず嫌いの変わり者と思われていました。

他の子どもと遊ぶことに関心がなく、一人遊びに熱中し、イタズラばかりするゲイツを、父親は「頭痛の種」だと感じていました。

しかし元教師だった母親は、ビルの良き理解者でした。
彼女はビルに何かを強制することはせず、主体性を何よりも尊重しました。

彼女はビルの社会性を伸ばす事に気を注ぎ、グループ活動や屋外での活動にできるだけ参加するように配慮しました。

特にボーイスカウトの活動に参加させたことは、ひ弱で、精神的にも弱かったビルを、身体的にも社会性の面でも鍛えるのに役立ったと言います。

他にも、彼は小学生のとき、週三回新聞の配達をやって、わずかながら小遣い稼ぎをしていました。
自分でお金を稼ぐ経験をビルが小学生の内からさせていたのです。

小学校六年のときには、コンテンポラリー・クラブという知的な子どもの集まりにも参加し、そこで他人と活動を共にしたり、意見を戦わせたりする経験を積みました。

ビルの成績は優秀で、中でも数学が得意でした。
記憶力にも優れ、聖書を一言一句間違えずに全て暗唱して牧師を驚かせたという逸話もあるほどです。

ビルゲイツの中学、高校時代

ビルは中学高校はシアトルでも有名な進学校であるレイクサイド校に進学します。

レイクサイド校には、コンピューター教育のための寄付金により、テレタイプ端末が導入されていました。

ビルはこれに強い興味を示し、コンピュータールームに通う日々を送ります。
当時から「近い将来、必ずコンピューターが人々の生活を変える」と周囲に話すほどコンピューターの可能性を感じていたそうです。

中学3年生の頃にオレゴン州ポートランドにあったインフォメーション・サイエンス・インク(ISI)という会社という会社から、COBOL(プログラミング言語)での給与計算システムの開発を請け負いました。
しかしビルらはCOBOLの扱いに慣れておらず、作成には苦労しました。

高校に入ったビルは、のちにマイクロソフトをともに立ち上げる2歳年上のポール・アレンと出会います。

ポール アレン


ゲイツはアレンを始め、学友たちと「レイクサイド・プログラマーズ・グループ」を結成します。
彼らはコンピューターのある施設を利用するための資金を稼ぐためにプログラムを開発し、一夏で5000ドルを稼ぎました。

また、72年の春には「トラフ・オー・データ」という会社を立ち上げ、交通監視装置から情報を分析する機械を開発しましたが、あまり売り上げは良くなかったそうです。

ビルゲイツの大学時代とマイクロソフトの起業

ゲイツはボストンにあるハーバード大学へ進学します。
応用数学を専攻していましたが、学問よりもカードゲームに明け暮れる日々を送っていて、成績は悪かったそうです。

1974年12月、ビルはワシントン州立大学に進学していたアレンから、ポピュラーエレクトロニクスという雑誌に、アルテア8800(初期のコンピュータ)の記事が載っているのを教えられます。

アルテア8800

これを読んだビルとアレンはアルテア8800用にBASICインタプリタ(プログラム言語を機械語に変換するソフトウェア)を作成することを考えます。

ビルは、アレンの名前を騙って、アルテア8800を販売していたハードメーカーのMITSに電話をかけ、実際には未だ何も作成していないBASICインタプリタについて、「現在開発中であり、間もなく完成する。御社に伺ってお見せしましょうか。」
と言ってカマをかけます。

これに応対した社長のエド・ロバーツは、「動作するBASICを最初に持ってきたものと契約する。」と答えました。
これを受け、彼らはBASICインタプリタの開発を開始します。

しかし彼らはアルテア8800の実物を持っていませんでした。
そこで、アレンはハーバード大学にあったPDP-10という別のコンピュータ上でアルテア8800をエミュレートする(代わりに働かせる)プログラムを作成し、これを用いてBASICインタプリタを作成しました。

PDP-10
PDP-10

8週間後、ゲイツとアレンの寝食を忘れたプログラミングの結果、BASICインタプリタが完成しました。

1975年3月、デモプレイのためアレンがニューメキシコのアルバカーキにあるMITSへ向かいましたが、この際アレンがBASICのブートローダ(コンピュータの起動時に働くプログラム)の開発を忘れていたことに気がつき、移動中の飛行機中で完成させました。

こうして作られたBASICはMITSでのデモに成功し、ビルとアレンが作ったBASICインタプリタは、Altair BASICとして販売されました。

その後、アレンはMITSの社員となりましたが、ビルはハーバード大学の学生のままで、夏休みの度にアルバカーキに来てはBASICインタプリタの改良を手伝いました。

1977年、大学4年生の初め頃になってとうとうビルは大学を休学し、BASICインタプリタに関するパートナーシップを形成することに関してアレンとの間で合意書が交わされ、パートナーシップによる経営としてマイクロソフトが正式にスタートしました。

その8年後にマイクロソフトはWindowsを開発、1995年にはWindows95を発表し、世界的なヒットを記録しました。

同時に導入された「Internet Explorer」も爆発的な人気を博し、マイクロソフトは世界最大のPCソフトウェア企業となりました。

Windows
Windows


ビルゲイツの名言集

私たちはいつも、今後2年で起こる変化を過大評価し、今後10年で起こる変化を過小評価してしまう。無為に過ごしてはいけないんだ。

We always overestimate the change that will occur in the next two years and underestimate the change that will occur in the next ten. Don’t let yourself be lulled into inaction.

成功ってのは、やっかいな教師だ。やり手を臆病者に変えてしまうからね。

Success is a lousy teacher. It seduces smart people into thinking they can’t lose.

世間は、君の自尊心を気にかけてはくれない。世間は、君が自尊心を満たす前に、君が何かを成し遂げることを期待している。

The world won’t care about your self-esteem. The world will expect you to accomplish something BEFORE you feel good about yourself.

成功を祝うのはいいが、もっと大切なのは失敗から学ぶことだ。

It’s fine to celebrate success, but it is more important to heed the lessons of failure.

人生は公平ではない。そのことに慣れよう。

Life is not fair; get used to it.

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