天才の生い立ちに学ぼう スティーブジョブズ編

ジョブズ天才の生い立ち

スティーブ・ジョブズはアメリカの実業家。

世界のIT業界を支配する4つの企業、GAFA(Google,Apple,Favebook,Amazon)の一角であるアップル社の創業者で、
mac,iPod,iPhoneなど数多くの革新的な製品を産み出し、テクノロジーの力で世界を変えた人物です。

Steve Jobs

スティーブ・ジョブズは、芸術とテクノロジーを両立させた正に現代の天才だった。数百年後の人々は、彼とレオナルドダヴィンチを並び称する事であろう。彼の偉業は、永遠に輝き続ける。

孫正義

スティーブはアメリカのイノベーターの中で最も偉大な一人であった。
違う考えを持つことに勇敢で、世界を変えられるという信念に大胆で、そしてそれを成し遂げるための充分な能力があった。
この星で最も成功した会社の1つをガレージから作り上げることで、彼はアメリカの独創性の精神を実証した。
スティーブは毎日が最後の日であるかのように生き、私たちの生活を変え、全産業を再定義し、私たち一人一人が世界を見る方法を変えた。

バラク・小浜

https://ja.wikipedia.org/wiki/スティーブ・ジョブズ


スティーブジョブズの幼少期

養子に出されたスティーブ

1955年2月24日、アメリカ合衆国 カリフォルニア州サンフランシスコでスティーブ・ジョブズは産まれました。

シリア人の父アブドゥルファター・ジャンダリと、アメリカ人の母ジョアン・シーブルの間に生まれたスティーブは、
母ジョアンの父、すなわちスティーブの祖父が結婚に猛反対したため、産まれる前から養子に出されることが決められていました。

その結果、スティーブはポール・ジョブズ、クララ・ジョブズ夫妻に生後間もなく引き取られることとなりました。

スティーブの預け先が決まった際、実母のシーブルはジョブズ夫妻が大学を出ていないことを知り、酷く不安になりましたが、ジョブズ夫妻はシーブルにスティーブを大学に行かせることを約束したので、養子縁組が成立しました。

その後ジョブズ一家はカリフォルニア州のバロアルトに転居し、6歳の時にモンタ・ロマ小学校に入学します。


その頃のスティーブは手が付けられない子どもで、まさに好奇心の塊でした。

時にヘアピンが電気を通すのか確かめたいと思い、ヘアピンをコンセントに差し込んで感電してしまったり、授業中に花火をしたりといった逸話が残っています。

スティーブが10歳の頃、非常に優秀な女性教師と出会い、彼女の影響でスティーブは勉強にのめりこむようになります。

その結果、11歳にして知能テストの結果が高校2年生レベルという結果を叩き出し、周囲を驚かせます。

それを受け、スティーブは1年飛び級で「クリッテンデン中学」に入学します。しかし、ガラの悪い校風にうんざりした彼はたちまち登校拒否になってしまいます。

仕方なく、ジョブズ家はカリフォルニア州にあるロスアルトスに転居し、「クバティーノ中学校」に転校することとなりました。

ビル・ヒューレッドとの出会い

13歳になったスティーブは、その頃彼が憧れてやまなかった「ヒューレット・パッカード社」のビル・ヒューレットに出会います。

パロアルトという土地にビルが住んでいると知ったスティーブは電話帳を片っ端から調べ、ビルの電話番号を入手します。

そして電話をかけ、「周波数カウンタ」の部品が欲しいと言うと、ビルはスティーブに快く部品を提供しました。

更にビルはスティーブに、ヒューレット・パッカードの支社の周波数カウンタを作っている所で夏休みにアルバイトしないかともちかけます。

1968年、高校生となったスティーブはビルのすすめでヒューレット・パッカードの夏季インターンシップとして働き始めます。

スティーブ・ウォズニアックとの出会い

16歳の夏、またスティーブは運命の出会いをします。

後にapple最初の製品を産み出す天才エンジニア、「スティーブ ウォズニアック」です。

スティーブ・ウォズニアック


友人の紹介でウォズニアックに出会ったスティーブはすぐに意気投合しました。

そしてある日、ウォズニアックの母親に貰った雑誌の中に出ていた、ブルーボックスという不正に長距離電話を掛けられる装置の記事を読んだ二人は、
すぐに図書館に向かい、ブルーボックスに関する技術資料を見つけ出します。

それを基にウォズニアックはブルーボックスを完成させ、スティーブは学生相手にそれを150ドルで売りさばき始めます。

結果ブルーボックスは200台ほど売れ、二人はかなりの利益を手にします。

後にスティーブは、「100%確実に、ブルーボックスの販売の経験が無ければappleを設立することは無かった」と述べています。

高校最後の年である1972年の春、17歳のスティーブはLSD(薬物)を服用し、麦畑がバッハを奏でるという壮大な幻覚を見ます。

その幻覚は、金儲けではなく、歴史という流れ、人の意識という流れに、いろいろなものを戻すことを気づかせた、人生で一番重要な体験だったと後に述べています。

大学を中退するスティーブ

そしてスティーブはオレゴン州のリード大学に進学します。

この頃のスティーブはユダヤ教、キリスト教、イスラム教、アニミズムや座禅と言ったものに傾倒し、裸足で大学内を歩き回り、風呂にもあまり入りませんでした。

スティーブは大学に半年間通いましたが、興味のない必修科目を履修することを嫌い、「両親が一生をかけて貯めた学費を、意味のない教育に使うのに罪悪感を抱いた」という理由でリード大学を中退します。

しかし中退後もリード大学のキャンパスを歩き回り、コーラの空き瓶拾いや電子装置の修理などで日銭を稼ぎながら、哲学やカリグラフィー(西洋の書道)など、興味のある授業だけを聴講して過ごし、18か月間リード大学に滞在しました。

アタリ社時代のジョブズ

仏教の教えを受けたいと考え、インドに旅をすることを計画したジョブズは、旅費をねん出するために働き始めます。

ジョブズは実家に戻り、その日のうちにアメリカのビデオゲーム会社であるアタリ社を訪問し、「雇ってくれるまで帰らない」と宣言して、アタリ社のトップであったノーランブッシュネルを引っ張り出します。

彼に気に入られたジョブズは時給5ドルの下級エンジニアとして働くことになります。

入社した後もジョブズは、長髪でほとんど風呂に入らず、サンダルでうろつきながら、誰に対しても偉そうな態度で接したので、同僚の多くから嫌われていました。

ジョブズが当時の技術部長にインドまでの旅費の援助を頼むと、仕事としてミュンヘンでのゲーム修理を命じられ、ドイツを経由してインドへ渡る目途を立てました。

ジョブズは友人のダン・コトケと共にインドに辿り着きましたが、すぐに赤痢にかかり苦しんだ末、想像と全く違ったインドの姿に失望しました。

結局その年のうちに実家に戻り、サンフランシスコで日本人の導師から禅を学んだ後、1975年の初めごろまたアタリ社に戻ります。

アタリ社に戻ったジョブズは、社長から新製品のゲームの回路の部品を減らしシンプルにする仕事を命じられました。

「減らした分だけ報酬を出す」と言われましたが、ジョブズは自分の技術力では不可能な事をすぐ認識し、友人のウォズニアックを毎晩こっそり車内に入れて作業を頼みました。

ウォズニアックは4日間徹夜して部品を30個近く減らしましたが、あまりに複雑な設計でウォズニアック自身にしか理解できなかったためスティーブはやり直しを命じられ、またウォズニアックに頼んで簡単な設計にしてもらいました。

ジョブズは報酬の山分けを提案してウォズニアックに350ドル支払いましたが、
実際にはジョブズは5000ドル受け取っており、10年ほど後に事実がばれた時にはジョブズとウォズニアックの間に確執が生じました。

アップル社の創業

1975年当時はALtair8800というコンピュータキットが人気を博していましたが、ウォズニアックはもっと優れたマシンを自作できると考え、
新しいマイクロコンピュータを独自で設計し、コンピュータのオタククラブのような所に持ち込んで称賛を浴びました。

これこそが後のアップル社初めての製品である、「AppleⅠ」となるコンピュータでした。

Altair8800
Altair 8800 Computer with 8 inch floppy disk system.

ウォズニアックは自作したコンピュータの回路図を無料で配布しようと考えていましたが、ジョブズはこのマシンを売ってビジネスを始めるべきだと主張しました。

このコンピュータの商品化をアタリ社に断られたジョブズたちは、自分達で事業を始めるため愛車やプログラム電卓を売って1300ドルほどの資金を捻出しました。

1976年4月1日、ジョブズとウォズニアック、そして友人のロナルドウェインの3人は「アップルコンピュータカンパニー」を創業しました。

「アップル」という名前はジョブズが当時果実食主義を実践していたことや、「楽しげで元気が良く威圧感が無い」こと、「電話帳でアタリ社より上にくる」という理由で採用したそうです。


この先は幼少期の範囲ではないので割愛しますが、
ジョブズたちは小さなコンピュータショップに自分たちの「AppleⅠ」を売り込み、懸命にコンピュータを組み立てて50台を納品し、8000ドルの利益を手に入れます。

Apple Ⅰ



ジョブズはさらなる事業拡大を望み、マイクマークラという個人投資家から92000の投資を受け、アップル社はドンドンと成長していきます。

2年後には後継機である「AppleⅡ」を発表し、計200万台を超える売り上げでアップル社に莫大な利益をもたらしました。

その後ジョブズはアップル社を一度追い出されたりと様々な事が起こるのですが結局復帰し、iPodやiPhone、iPadなど画期的な商品を数多く世の中に出すこととなりました。



彼の幼少期や生い立ちをみると、その意志の強さや豪胆さが目立ちます。
「何としてもやる」という強すぎる思いが、彼を世界的な人物にしたのかもしれません。

スティーブ・ジョブス 伝説の卒業式スピーチ(日本語字幕)

スティーブ・ジョブズの名言

もし今日が人生最後の日だとしたら、今やろうとしていることは本当に自分のやりたいことだろうか?

If today were the last day of my life, would I want to do what I am about to do today?

重要なことに集中する唯一の方法は「ノー」と言うことだ。

It’s only by saying no that you can concentrate on the things that are really important.

すばらしい仕事をする唯一の方法は、自分のやっていることを好きになることだ。まだそれを見つけていないのなら、探し続けなければいけない。安住してはいけない。心の問題のすべてがそうであるように、答えを見つけたときには、自然とわかるはずだ。

The only way to do great work is to love what you do. If you haven’t found it yet, keep looking. Don’t settle. As with all matters of the heart, you’ll know when you find it.

墓場で一番の金持ちになることは私には重要ではない。夜眠るとき、我々は素晴らしいことをしたと言えること、それが重要だ。

Being the richest man in the cemetery doesn’t matter to me… Going to bed at night saying we’ve done something wonderful… that’s what matters to me.

ハングリーであれ。愚か者であれ。

Stay hungry. Stay foolish.

スティーブジョブズ 服装の変化
ジョブズの服装の変化


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