天才の生い立ちに学ぼう [アインシュタイン編]

アインシュタイン天才の生い立ち

天才は幼少期に、すでにその片鱗を見せ始めています。

アインシュタイン
Albert Einstein

アルベルト・アインシュタインは、1973年3月にヘルマン・アインシュタインとパウリーネ・コッホ夫妻の長男として、ドイツ南西部、バイエルンのシュワ―ベン地方のウルムという都市に生まれました。

しかしウルムにいたのは1年間だけで、当時ドイツの中心都市であるミュンヘンの郊外へ、父と叔父が電気化学工場を設立するために引っ越します。

この叔父は電気化学に精通しており、後のアインシュタインの人生にも叔父の存在が影響を与えています。

アインシュタインは、5歳ごろまであまり言葉を話さす、非常におとなしい子供であったと言われています。

しかし5歳のときに父親からもらった方位磁針が、自然界の仕組みに対する興味をもたらすきっかけとなりました。

また6歳ごろにはヴァイオリンを習い始め、すぐにモーツァルトの曲が好きになり、ヴァイオリンは生涯の友とりました。

9歳の頃にはピタゴラスの定理に夢中になり、証明まで成し遂げます。

そして12歳のときに叔父からユークリッド幾何学の本を貰いこれも独学、微分積分までも習得していたと言われています。

このようにアインシュタインには物事に興味を持ち、熱中し、追及する圧倒的な探求心がありました。

15歳の頃、父親と伯父の工場が倒産し、家族はドイツからイタリアへと引っ越すことになりますが、父親はアインシュタインが学校をしっかり卒業する必要があると判断し、アインシュタインのみドイツに残されます。

父親はアインシュタインが電気工学の道に進むと良いと考えていたそうです。

しかしアインシュタインは学校の規則ずくめで軍国主義的な校風と対立、反発し、その年末、医師に書かせた診断書を口実にして退校を申し出て、家族を追って旅をし、イタリアの家族の元に辿り着きます。

イタリアに滞在している間にアインシュタインは「磁界中でのエーテルの状態の変化について」という短い論文を書きました。

そしてその一年後、スイスのチューリッヒ連邦工科大学を受験しますが不合格でした。
しかし、物理と数学の点数が受験者の中では最高得点だったのを校長に認められ、翌年の入学資格を貰いました。

大学在学中のアインシュタインは、授業にまともに出なかったり、爆発事故をおこしたりする問題児で、教授と仲が悪く、卒業後はさまざまなバイトしながら生活していました。

そしてある時、知り合いから特許庁への就職を斡旋されます。

そして特許庁に勤める傍ら研究を続け、1905年に「ブラウン運動の理論的解明」「光量子仮説」「特殊相対性理論」とそれぞれに関係する5つの論文を発表しました。

この論文発表から3年後に特許庁を辞め、母校のチューリッヒ連邦工科大学の助教授を経て、プラハ大学の教授になります。

その後「一般相対性理論」も発表し、 1921年にノーベル物理学賞を受賞します。


アインシュタインは世界の歴史の中でもトップレベルの天才ですが、彼が偉大な事を成し遂げられたのは、人生のどんな時も好奇心を持ち続けたからです。

人は大人になるにつれ、「何かを知りたい、触りたい」という好奇心を失ってしまいます。

実は子供がこの好奇心を失わないようにするには、親の細心の注意が必要なのかもしれません。

アインシュタインの名言

何かを学ぶためには、自分で体験する以上にいい方法はない。

わたしには、特殊な才能はありません。ただ、熱狂的な好奇心があるだけです。

.人はみな、自らの宇宙論をもっています。そして、誰もが自分の理論は正しいと言うことができます。

挫折を経験した事がない者は、何も新しい事に挑戦したことがないということだ。

コメント

タイトルとURLをコピーしました