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発明王 エジソンの生い立ちと幼少期

エジソン天才の生い立ちと幼少期


エジソン
Thomas Alva Edison

エジソンの幼少期

トーマス・アルバ・エジソンは、1847年2月11日にオハイオ州ミランで、製材所の経営者である父サミュエル・オグデン・エジソンと、元教師である母ナンシー・エリオット・エジソンの七番目の子供として生まれました。


エジソンが七歳のときに一家はミシガン州ポートヒューロンに移り住みます。

少年時代のエジソンは、非常に好奇心旺盛な少年でした。その好奇心は常人の理解を超えてしまう事が多々あり、異常な知りたがり少年だと噂されていました。

普通の人には当たり前に受け入れることができることが、エジソンの頭の中では「なぜ?」が溢れてしまい、どうしようもなかったのです。

有名な逸話ですが、「1+1」の答えが「2」であることがエジソンにはどうにも納得がいきませんでした。

エジソンは周囲の人とは違う角度で常に物をみていたのです。

エジソンはこう言います。

「1つの粘土と1つの粘土を合わせると、大きな1つの塊ではないか。」

エジソンの小学校の先生はそんなエジソンに腹を立てて、「腐れ脳ミソ」とエジソンを罵倒しました。

他にも、エジソンは「なぜ物は燃えるのか」を知りたくて、藁を燃やしていたら納屋に延焼してしまったという逸話も残っています。

このような事件が重なり、エジソンの小学校はエジソンを見放し、3か月で退学にしてしまいました。

エジソンの父サミュエルも、エジソンにはウンザリしていました。

エジソンの理解者


しかし、そんなエジソンにもたった一人だけ、理解者がいました

そう、母親です。

この母親は偉大でした。

エジソンの母親ナンシーは、エジソンの個性を受け入れ、小学校から見放されたエジソンを自分から教育することを決めました。

元教師であったナンシーは、エジソンの疑問全てに徹底的に付き合い、エジソンの好奇心を満たし続けていきました

時にナンシーにも答えがわからない時は図書館に行くように勧め、さらには地下倉庫を実験室として使う事をエジソンに勧めました。

これがエジソンの後の人生に大きな影響を与えました。

「母が私の最大の理解者であった。母がいなければ私は発明家になっていなかっただろう」

トーマスエジソン

エジソンの青年期

エジソンは12歳で列車内での新聞の売り子として働き始めます。

エジソンは家計を支えるためではなく、社会を知るために働きだしたのです。

働き始めたエジソンは、列車内に実験室を作り暇な時に実験をしたり、自分で社内新聞を発行したりと、あらゆることを行っていたのですが、その中にはいくつかの失敗もありました。


エジソンは列車に乗り遅れたため、同僚に耳を引っ張り上げてもらい乗り込んだことで耳を悪くしたとか、実験室で火事を起こし追い出されたとか、新聞で悪く取り上げた人物に川へ突き落とされた、等といった様々な失敗を経験しています。

これらの失敗を通して、エジソンは執拗なまでの成功への挑戦心を養いました。

そして15歳の時、運命的な出来事に出会います。
出入りしていたマウント・クレメンズ駅で偶然列車に轢かれそうになっていた子供を間一髪で助けたのです。

しかもエジソンが助けたのは、マウント・クレメンズ駅の駅長の子供でした。この事件で駅長と親しくなったエジソンは、駅長から電信技術を学ぶ機会を得られたのです。

エジソンは三ヶ月ほどで電信技術を学び、電信技師としてのキャリアを積むことになります。

エジソンの少年時代はまだ、電話も無線も発明されていなかったので通信手段として電信が活躍していました。


電信は、電線を使って長距離間の通信をモールス信号で行う通信手段で、当時の花形職業の一つだったのです。


エジソンはこれを機に、電信技師としてアメリカやカナダの各地で働いていくことになります。

この頃の電信技師は引っ張りだこだったので16歳前後のエジソンでもかなりの収入を得られていました。

エジソンの発明



そんな中、エジソンは夜勤のある仕事を振られます。この頃のエジソンは、やや寝坊癖があり、夜勤のように長時間眠ることの出来ない仕事には辟易としていました。


そこで、エジソンは自分の代わりに起きていることを電信で証明する装置を作り出したのです。
これが、エジソンの生涯における最初の発明となりました。

この装置をセットしておけば、自分が寝ていても通信相手である上司にはわからないという仕組みだったのです。

この装置で思うように睡眠をとれるようになったエジソンでしたが、世の中そう上手くはいきません。

夜勤中の居眠りの常習犯であったエジソンが、突然人が変わったように正確に通信してくるようになれば、上司としてはその様子を確かめたくなるのが心理です。

上司が怪しんで、エジソンの様子を見に行くと、エジソンが机でイビキを掻く横で機械が電信装置に接続されていたのですからもう大激怒です。

エジソンはその会社からクビにされてしまいました。

会社を追い出されたものの、エジソンは電信技師として働き続けました。当時エジソンは最新の科学知識を電信技師としての収入を注ぎ込んで独学で学び続けていました。

この科学知識によってエジソンは着実に科学者としてキャリアアップを果たしていきます。

その上、電信技師としても腕を磨き電信コンテストで優勝するほどに熟練していました。エジソンは21歳の時に、最初に特許を取得した「電気投票記録機」を発明しています。

この電気投票記録機は議会運営のスピードアップを狙ったものでしたが、議会には採用されることはありませんでした。失敗です。

しかし株式市場に関わる会社に勤めていた22歳の時に、株式相場表示機「ティッカー」を発明します。

このティッカーは、エジソンの発明人生の中で最初の成功作となりました。翌年にこのティッカーの特許は売却されることになるのですが、「5000ドル程度だろう」と思っていたエジソンの思惑とは裏腹に、4万ドルという高額で買い取られることになったのです。

この売却益を元にして、エジソンは研究所と工場をニュージャージー州ニューアークのメンローパークに設立します。こうして、エジソンは発明家として様々なものを世に生み出していきました。


このようにエジソンが多くの事を成し遂げられたのは、やはり幼い頃、母の協力があったからです。

幼い頃の経験は、人生を大きく変えてしまう事があります。

エジソンの名言

Genius is 1 percent inspiration and 99 percent perspiration.

天才とは、1%のひらめきと99%の努力である。

Nearly every person who develops an idea works at it up to the point where it looks impossible, and then gets discouraged. That’s not the place to become discouraged.

ほとんどすべての人間は、もうこれ以上アイデアを考えるのは不可能だというところまで行きつき、そこでやる気をなくしてしまう。勝負はそこからだというのに。

I find out what the world needs. Then, I go ahead and invent it.

人々が必要としているものを見つけ出す。そしてそれに向かい、発明するんだ。

I have not failed. I’ve just found 10,000 ways that won’t work.

私は失敗したことが無い。1万通りの上手くいかない方法を見つけただけだ。

Our greatest weakness lies in giving up. The most certain way to succeed is always to try just one more time.

人間の最大の弱点は「諦めること」にある。成功するのに最も確実な方法は、常にもう一回だけ試してみることだ。

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